英国史上、最も激しい時代に首相に就いた、ウィンストン・チャーチル。
彼の政治上の議論はさて置き、ここでは、BAR文化における彼の偉業を紹介してきた。
偉業と言っても、これは彼の生活史に過ぎない。つまりは、粋であったのか。それもここでは言及を避けておく。
マティーニをこよなく愛し、‟エクストラ・ドライ”なるものを広めたこと。
破産の窮地でもシガーを手放さず、彼の愛したサイズが、いまやチャーチルサイズとして公用の尺度とされていること。
ロンドンのサボイホテルで彼が飲んでいたコニャックが、今も‟グレートスモーカー”という名で復刻されていること。
また、同ホテルのアメリカンバーのヘッドバーテンダー、ジョー・ギルモアとの親交や彼の名を冠したカクテルの誕生など。
これほど、BAR文化に関わった人物は、文豪ヘミングウェイと彼くらいなものか。
余談だが、チャーチルは作家でもあり、ノーベル文学賞も受賞している。実はヘミングウェイと並ぶ文豪なのである。
物書きとBARというのはどういうわけか相性が良い。
さて、今回は『蛙の子は蛙』という話をしよう。つまり、酒飲みの親もまた酒飲みということである。
主役はチャーチルの母親、ジェニー・ジェローム(Jennie Jerome)。
彼女の時代、英国と米国の政略結婚が流行っていた。
長い歴史をもった英国貴族の家系。しかし経済的には下火の窮地に立たされていた。
一方、一代で財を成した米国実業家たち。しかし、彼らは家柄に歴史がないことをコンプレックスに感じていた。
そこで英国貴族と米国実業家の利害が一致し、互いに子息・子女を紹介しあったようである。
ジェロームは銀行家の娘であった。自身、なかなかの野心家で、政界の集まりにも積極的に出向いたようである。
アメリカ史上、最も白熱した選挙のひとつとされる、19代大統領選でのことである。
候補支援者パーティーがマンハッタンクラブで開催された時、ジェロームがかの『マンハッタン・カクテル』の原型
となるものを創作して振舞ったとされている。
昔から、マティーニはカクテルの王・マンハッタンはカクテルの女王と評されてきた。
チャーチル母子は、カクテルの王・カクテルの女王に携わった、歴史的酒飲み母子、というわけである。
この選挙では、ラザフォード・ヘイズが当選している(1887年)。
のち、ジェロームは英国の政治家、ランドルフ・チャーチルと結婚し、のちの首相ウィンストン・チャーチルを生む、
という流れなわけである。
最後に、この話は酒肴として楽しんでいただきたい。
最近、一部のマニアがこの説は信憑性に欠けると横やりを入れてくることがある。
酒飲みとマニアは別人種である。
本誌を楽しんでいただくのは酒飲みに限る。マニアは漫画でも読んでいればよろしい。(西宮聖一朗)