『ラッフルズ、その名は東洋の神秘に彩られている』サマセット・モームがシンガポールに滞在した時の言葉である。1919年、彼はラッフルズホテルに長期滞在し、『月と六ペンス』を執筆している。ポール・ゴーギャンをモデルとした彼の代表作である。
ラッフルズホテルは、モームを筆頭に数々の著名人が宿泊し、多大な賛辞を送っている。
さて、もうひとつ。ラッフルズホテルと聞くと、酒好きには憧れのカクテルがある。『シンガポールスリング』である。蛇足話だが、スリングとはカクテルスタイルの一種を表す言葉であるのだが、時折、バーのカウンターで知った顔をして、シンガポール"スリリング"という恥ずかしいオーダーを聞くことがある。どれだけ刺激を求めているのか、ちゃんとメニューを読んで欲しいものである。呉々も本誌読者諸氏には気を付けて頂きたい。
シンガポールスリングには2つのレシピが存在する。というと、前述の流れでスリリングなサスペンス話を想像されるかもしれない、が、そうではない。ささやかな、バーの薀蓄話である。ラッフルズホテルはイギリス植民地時代、1887年に建造されたコロニアルホテルである。金持ちの白人相手とした高級ホテルといったところ。時を経て1915年、このホテルの『ロングバー』でニャン・トン・ブーンがシンガポールスリングの最初のレシピを発案した。この時代はジンカクテルが主流で、スリングとは蒸留酒に甘味と酸味を加え水で割ったスタイルの総称であった。差し詰め、ジンスリングのヴァリエーションと言ったところであったのだろう。さして真新しいものでもなく、甘味が強く、当時はあまり注目されずに廃れたようであった。が、ロンドンのサヴォイホテルのバーテンダー、ハリー・クラドックが1930年に出版した『サヴォイカクテルブック』に掲載したというのが、情報収集能力・審美眼の観点から流石と思えてならない。そして、もうひとり。このカクテルに注目し、脚光を与えた人物がいた。1970年代になる。ニャン・トン・ブーンの甥、ロバート・ブーンである。オリジナルのレシピを発見したロバートは、大幅な改正を加えて、シンガポールスリングの名でホテルの名物カクテルとして発表した。これが、現在ラッフルズホテルで提供され、世界中の酒好きの憧れとなったカクテル、『シンガポールスリング』である。
こうした流れで、現在は『ラッフルズタイプ』と『サヴォイタイプ』の2種類のシンガポールスリングが存在する。
余談だが、以前、言語学を扱った何かのエッセイでこんな記事を読んだ記憶がある。新しい言語というのは、人の集まる中心地で生まれ、徐々に地方へ伝播していく。従って、方言を研究することで、昔の都言葉を探ることが出来るのだと。
シンガポールスリングのレシピを追うことで、カクテルも然りと思える。失われたオリジナルのレシピは、シンガポールから遠く離れたロンドンの、サヴォイのレシピに見られるのではないかと。(西宮聖一朗)