【カクテルの夢-ラストワード-】

1919年から1933年にかけて、米国では永く奇妙な法律があった。禁酒法という。アルコールの製造・飲酒を禁ずる、というものである。民主主義というものは、時に奇妙な選択をする。原理主義の宗教団体の影響だとか、ドイツへの資金源を断つ為だとか、理由は定かではない。確かなことは、この時代、過去最大規模で飲酒量が伸び、マフィアの活動が目立った、ということ。

さて、通っぽい飲み手が頼むカクテルの多くは、この禁酒法時代のものである。モグリの酒場であったり、ヨーロッパに渡ったバーテンダーによって生み出された。

ラストワード、というカクテル。

ジン、マラスキーノリキュール、シャルトリューズヴェール、ライムジュースを同量でシェイクしてつくるものである。

このカクテルはこの時代のほんの少し前に生まれた。デトロイトのアスレチッククラブのメニューで、当時、最高額で提供された高価なカクテルであったらしい。ここはオリンピック選手も利用していた由緒あるプライベート社交クラブであるようだが、土地柄か禁酒法時代にもしっかりカクテル提供をしていたらしい。当時は粗悪な密造のバスタブジンを使っており、アスレチッククラブでは現在でもその名残りとして、ウォッカにスパイス・ハーブ・シトラスを漬け込んだものを使っているとか。

このカクテルが広まる最初の要因となった人物、フランク・フォガーティという。彼は喜劇パフォーマーで、ラストワードを愛飲していたことで有名であった。彼は歌や朗読を演じた。仇名は、ダブリン・ミンストレル。ダブリンの吟遊詩人、といったところか。故郷のアイルランドとパフォーマーという仕事に誇りを持っていたのだろう。彼は仕事終わりのラストワードをこよなく愛したそうである。これで今日の言葉(仕事)は仕舞い。なんとも気の利いた一杯だろうか。本物のカクテルというのは、言葉遊びでもある。人格を有し、意味を成す。洒落た飲み手あってこそ活きる価値がある。

ラストワードは割り合い忠実に当初のレシピが守られ、幾つかのヴァリエーションを残しながらも暗雲の時代を生き延びた。禁酒法時代も終焉を迎えカクテルも自由を取り戻すと、1951年に出版されたカクテルブックで初めてラストワードの記載が見られた。暗雲の時代に生まれ、山あり谷ありの人生を歩んだラストワードは、確固たる市民権を得たのである。が、どれだけ優れたレシピであろうと多くは時代の流れで忘却へと追い込まれてしまうのが世の常である。

しかし、市民権というものの強みたるや!

半世紀近く経た2004年、シアトルのジグザグカフェのバーテンダー、マーレイ・ステンソンが先のカクテルブックからラストワードを見つけ出し、店のメニューに加えたのである。さらに翌年、ニューヨークのペグクラブの女性バーテンダー、オードリー・サンダースによってシアトルタイムズ紙で紹介されることとなる。

彼女曰く、ラストワードは切れ味のある完璧なバランスをもったカクテル、とのこと。これらがきっかけとなり、近年の回帰主義的な流行も追い風で、ラストワードは再び世界的な注目を集めることとなったのである。

デトロイトで生まれ、シアトルで甦り、ニューヨークから世界に広まった、ラストワードというカクテル。

しかし、残念なことに、私の街ではそれでもラストワードの知名度は、ほぼない。本物のカクテルの夢というものは、洒落た作り手と飲み手を欲しているのである。(西宮聖一朗)